TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

歌集『わたしも森の末端である』(松山紀子)より

かりそめに古語を使ひて歌らしく見せてゐる「それ、なんかずるくね?」

「もう終り」嫌な言葉と思ふなり近所の梅の事だとしても

「お疲れ様」「おやすみなさい」「また明日」夢の中では仕事はしない

「雪の日はどうするんだ」と坂下るあなたは雪国生まれであつた

                    松下 紀子

 

『わたしも森の末端である』という題名にふさわしい趣の歌もたくさんあったが、上の四首を引いてしまった。

 

「カッコ付が多いのってどうなんですか?そういうのっていいんですか?」と指摘されたことを思い出したからである。

もう7年も前のこと。ハンディタイプの第一歌集を上梓した。それに対する意見のひとつで、若い学生さんからのものだった。人の言葉や会話を歌の中に盛り込みすぎなんじゃないですか?それって、なんだかずるい!ということだったと記憶している。そのときは、きちんと返答することができなかったのだが、松下さんの歌集を読んで思った。

それは、歌になりたくておりてきた言葉なんだ・・・と感じたから、歌にしました。

7年目の学生さん、今は社会人だ。そして今も歌を詠んでいる。もし、会うことがあったら、そう伝えたい。

そして、

歌の中に人の言葉があると、ぐっと近しく思われる。その歌も、詠んだ人も、その場に居た人も、まるで、私自身であるかのように。

好みはあるだろうが、高みにあって仰ぎ見るような歌よりも、引き寄せることができる歌の方が好ましい。とくに人のぬくもりを感じたいときには。

 

それにしても、私は、まだ夢の中で仕事をしている。前職の非常勤講師という、責任がないような名称なのに、それなりの責任があって、失敗してはいけないという思いに苛まれていた仕事。昨年辞めて、ほっとしたのに、まだ、

「せんせい、ちょっとちがうんじゃないですかー!」

という甲高い声がして、目が覚めることがある。

夢の中でも現実でも、もう教師はこりごりなのに。