「ばけばけ」の錦織さん繋がりで、以前に書いた原稿をアップします。
お読みくだされば嬉しいです。
歴史的建造物と詩歌(1)「錦織神社」(にしきおりじんじゃ)
かつて爾五里天王または水郡天王宮と呼ばれていた当社は、江戸時代末期まで神宮寺の別当金輪寺と併存していた。神仏分離によって寺は廃絶し、明治四十五年に錦織神社に改められた。
河内国西南部の当地は、古来、渡来人の集住した先進地域で、古代創立と伝えられる当社の境内から平安~鎌倉時代の古瓦が出土している。
錦部(にしごり)郡の名がみえるのは、『続日本紀』の文武天皇三年(六九九)三月九日条で、次いで天平神護元年(七六五)十二月十九日条には、従八位上錦部毘登石次・正八位下錦部毘登大嶋・大初位下錦部毘登真公ら一族二十六人に錦部連を賜姓したことが記されている。錦を織る技術に通じた錦部連が居住し、氏族名から郡名が生まれたと考えられている。
「錦織」は、現在、正式には「にしきおり」と読むとのことだが、前述のように、古くは「にしごり」であった。地元では「にしこり」「にしこおり」「にしごり」と呼んでいる。
当社については、七月ごろにご紹介する予定だったが、当社と和歌との関わりについて大変興味深い例があること、また、最近巷では、プロテニス界で活躍中の錦織選手に因んでこの神社が注目されていること、などから初回に取りあげることにした。
当社は、本社本殿と摂社春日社本殿および摂社天神社本殿が、国指定重要文化財となっており、特に正平十八年(一三六三)建立と伝えられる本殿は、総檜皮葺の三間入母屋造りで、漆、丹塗、彩色が美しく施されている。屋根は、千鳥破風と軒唐破風をもつ最古の例で、棟を身舎(もや)中央ではなく前方に送って、屋根を大きく見せるという稀有な技法が見どころである。(「棟の前方への送り」は、社殿の正面観を重視する意匠の一つという。)
さて、「歌」に特別の思いのあるかたは、ぜひ本殿の「欄間」に注目していただきたい。ここに「梶の葉に筆」の彫刻がある。「梶の葉に筆」は、法隆寺の子院である北室院本堂(明応三年)の木鼻にも見られるが、錦織神社のものは最古の実例である。
古来、七夕には「梶の葉」に歌などを書き職女星に供えた。冷泉家の乞巧奠(きっこうでん)すなわち「七夕」の行事の飾り付けにも、梶の葉が使われているという。「梶の葉に筆」の主題は、まさしく七夕に因んだものである。
「梶の葉」で平家物語の一場面を思い出される方も多いのではないだろうか。平家物語(覚一本)の「祇王」の段の、仏御前が祇王たちを訪ねる場面は、次の一文で始まる。
かくて春過ぎ夏闌けぬ。秋の初風吹きぬれば、星合の空をながめつつ、天のとわたる梶の葉に、思ふ事書く比なれや。
(覚一本『平家物語』注※)
「星合」とは牽牛星と織女星が逢うことであり、「天のとわたる」は『後拾遺和歌集』所収の、
天の河とわたる舟のかぢの葉に思ふことをも書きつくるかな
上総乳母
という一首を指すという。また、これを本歌とした次の一首も有名である。
たなばたのとわたる舟の梶の葉にいく秋書きつ露の玉づさ
(新古今三二〇)藤原俊成
いうまでもなく「梶」は船の「楫」との掛詞で、天の河を渡る舟の「楫」のこと。地上の人々の願いが、星々の間を漕ぎ行く船にのって天の職女星に届けられるのだ。優雅でかつ雄大な空間の広がりを感じる。錦織神社の欄間に、いにしえの星合をおもうことができるのである。
それにしても、なぜ、河内国の西南に位置する当社の欄間に貴族的な雅を思わせる「梶の葉に筆」の彫刻が施されたのだろうか。
当社の屋根の檜皮葺に関しては天王寺の檜皮大工によるとの記録があるが、本殿はいかなる大工が関与したのかを明らかにする史料は見いだされていない。ただし、貴族的主題を採用する趣向は、これが文化的先進地帯の大工(天王寺流大工か)によることを推測させる。
また、「星合」すなわち「七夕」の由来のいくつかを辿れば、どれも機織りとは縁が深い。当地が、かつて織物を生産する渡来系の工人集団である錦織部がおかれたところであることを考え合わせれば、「梶の葉に筆」の意匠に託された思いが想像できる。ただ、古代創立以来、現社殿が建立された十四世紀に至るまで「機織り」についての特別な思いがあったのかどうかを詳らかにする史料はない。
いずれにしても、「梶の葉に筆」は、願いや思いを歌にして星に託すという皇族貴族の行事への憧憬のあらわれであるとともに、やがて民衆に浸透し根付くという文化の流れの中に位置する興味深い彫刻である。

錦織神社
なお、現在の欄間の「葉」は実際の「梶の葉」とは形状を異にする。これは、風蝕や欠損によって彫物の原型を見極めることができず、「梶の葉」であることが覚束ないまま彩色修理されたためであろう。
《注※》ただし読本である「延慶本平家物語」や「源平盛衰記」には「星合」の記述はない。語り本である「覚一本」や「百二十句本」では「星合」が、ドラマティックな場面展開を予見している。
《追記》錦織圭氏は島根県松江市出身とのことで、河内の「錦織」との関連はわからない。しかし、『続日本紀』和同四年(七一一)閏六月条の挑文師(あやとりのし…律令制で、綾部司に 属し、錦・綾・羅などの製法を教授した職)を諸国に遣わして綾錦を織ることを教習させ、翌年には、出雲を含む二十一か国に命じて綾錦を織らせている、という記録は、錦織姓に照らして興味深い。