TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

あのころの娘に逢えたなら

娘を作業所の送迎場所まで送っての帰り道、3歳くらいの女の子が、父親らしき人と手を繋いで歩いていた。運転しながらチラッと見ただけだが、大人のロングコートを模したオシャレなコートを着た、いわさきちひろさんの絵のような女の子。

ああ、かわいい、と思って通り過ぎたあと、涙があふれた。

 

あんなころが娘にもあった。ただ、歩いているだけで可愛かった。

なのに、わたしは、発達の遅れを気にしながら焦っていた。

焦って、リトミックやらスイミングやら、幼児教室やら、のべつまくなしに、娘を引っ張りまわしていた。わけがわからなくておろおろする娘の手を引いて、速足で歩いていた。いらいらしていた。ザワザワしていた。ほんとに馬鹿な母親だった。

 

あのころの娘に逢いたい。

あのころの娘に逢えたなら、ただ、抱きしめて、ずっと、抱きしめて言いたい。

 

ごめん。浅はかな母さんだった。他人の子と比べても仕方ないのに。

あなたはどんなあなたでも私の一番たいせつなあなただ。

あっちこっち連れて行かれて辛かったねえ。

もう、ゆっくりでいいから。

ゆっくりまったり、母さんと歩いていよう。

いや、歩かなくったっていい。このまま、ここで温めあっていようね。

 

なんだかすごいね、と思った歌。

穂村弘さんには二度お会いしたことがある。

一度目は、歌人集会?だったかな、の講演。

二度目は、2018年の与謝野晶子短歌大会。その歌会で偶然、穂村さんのクラスになった。ふわっとして、なんだかとても感じのよいひとだと思った。穂村さんはもうお忘れだろうけれど、私が他の参加者の歌の歌評をしたときに、「そういうふうに素敵に解してもらって、その歌がとても輝きましたね」なんて誉めてくださったし。フフ((⌒∇⌒)

で、その穂村さんのお歌だが、(昭和の三十年代生まれで、けっこう生真面目??な私にとっては)ぶっとんでいる。異論はあるだろうが、歌壇の筒井康隆か、と、私は思った。男女の営みめいた歌や排せつに関わる歌などは、良い悪いじゃなくて、私には、絶対むりむり。。。

 

あーでも、赤ちゃんのオムツの歌ぐらいなら詠える。老人介護の紙おむつの歌も詠んだことがある。かつて某派の大会に初めて参加し出詠したら「まさか、紙おむつが詠まれるなんて・・・」と重鎮らしき老婦人に眉を顰められた。まあ、しかし、おむつ程度でそれ以上は無理。詠んだことはない。

 

そんなこんなで、ユーズド市場で手に入れた穂村弘歌集『ラインマーカーズ』を、こんな歌は詠めない、これはわからない、こんような感性はない、、、と読みすすめていたのだが、やっぱりすごいわ、なんだかすごいね、と思って手を止めた。

 

星座さえ違う昔に馬小屋で生まれたこどもを信じるなんて    穂村弘

 

前後の歌から推して、クリスマス劇をさせられる幼稚園児関連のようだ。おおげさかもしれないが、これは、全〇〇〇ちゃんを敵にまわすような歌だわ、と思った。

 

私自身は特定の宗教を信仰しているわけではないけれど、シュタイナー教育に関わったことがあるので、娘の幼児期~10歳くらいまで、クリスマスには厳かにクリスマス劇をおこなったり、見に行ったりした。神様を絶対視している友人も多い。そのせいだろうか、ここまでは詠めない。でもそれは私の忖度に違いない。忖度して詠めないものがあるなんて、うた人としての限界なんじゃないかなと。。。

 

茶化しているようで、皮肉っぽいところも感じるけれど、これはとても鋭利な歌だ。地球上で起こってきた悲劇、いまも継続している惨禍は、これに関連してものが多い。何を信じるのか、見えない何を信じるのか、そのために、別の見えない何かを信じている人たちを許せない、認めない、排除する、それの繰り返しではないか。

 

でも、そんなことをもし穂村さんにお話したら、「いやあ、ふふん・・・」と はぐらかされて逃げられるような気もしないではない。

 

人間がチイサイ私は、これからも詠みかけて詠めない歌があるだろう。でも穂村さんの歌を思い出すたびに、「詠みたいことを詠もうよ」と自分を励ますことができそう、いや、そうしないとね。

 

 

 

 

 

 

 

最後まで聞いてほしかったこと。

娘には、いろいろ不思議なところがある。
食卓に鉛筆やノートなどを並べることが多いが、食事の前に、片付けて
というと、素直に片付けてくれる。でも、ウサギだけは残る( ̄▽ ̄;)。いつも食卓にある。なんなの、いったい。
その不思議な娘が久しぶりにやらかしてくれた。ヘルパーさんと行った近隣の図書館で、端っこがちょびっと破れていた絵本の1ページを、あーっというまに、ビリビリーーー!
破りきってしまったのでありますル。
 当日午後、娘を伴い、謝罪に参りました。図書券は受け取ってもらえずでした。でも、転んでもただでは起きない大阪人の母。
「あのう、、、こういうタイプの子どもの歌も詠んでいるので、もしご興味があれば・・・」
と、第一及び第二歌集をささとお見せしたのであります。
「〇〇市民のかたですか?」
「はい。」
「では、寄贈ということで・・・」
「はい」
(いいねいいね・・・)
が、、、
「場合によっては、リサイクルに回させていただきますが・・・」
(えっ・・・、(´;ω;`)ウゥゥ)
というわけで、不思議な娘のヤラカシに転んだままの母でした。

図書館としても、どんな本でも受け入れていたら蔵書であふれてしまうから、まあ、それは仕方ないんだろうな・・・と思うものの、〇〇市の有名歌人の謹呈本が開架されていることを知っているだけに、(ちょっとね)、口惜しかったりしました。

転んだ(ガクッとした)のには、他にも理由がある。

謝罪のときに、「娘にはちょっと障害がありまして・・」と言うと、「いえ、そんなことは全然(関係ないので)・・・」と、話のこしを折られてしまったことだ。障害があるから許してください、と言うように受けとられたのだろうか・・・そうだとすると辛い。「障害があるので許してください」ではなくて、(障害はひとによってそれぞれ違うけれども)、特性というものについて話を聞いてほしかった。たとえば、小さな綻びや破れが気になって、すべて破ってしまったり、千切ってしまうこと。本が嫌いではなく、笑顔で見ているのに、何かのスイッチが入って、衝動的に破ったりしてしまうこと。娘にとっては、おさつは紙でしかなく、ぴりぴりと裂いてしまうこと。突然の環境の変化になかなか対応できないこと。言葉を中途半端に理解しているので、自分が悪く言われるていると誤解して、パニックに近い状況になること。などなど、たくさんあるけれども、少しでも聞いていただきたかった。

 

でも、「いいえ、そんなことは別に」という言葉で遮られた。それは、障害者を差別していませんよ、という態度のつもりなのだろう。でも、知ろうとはしていないのだと思う。

 

忙しい業務の間に、そんな話を聞く暇はなかったのかもしれませんが、障害っていうものがどういうものなのか、を話す場も聴く場も、聴こうとする人も、理解しようとする人も、あまりいないのかもしれない

小学校での思い出を語る。

突然の機会を得て、地元の小学校の4年生たちに、障害のことについて話をした。

娘が支援学級でお世話になった小学校だったので、そのころの体験談がよいだろうと思って、2年生のころの話を数分間。

 

娘は支援学級に属していたが、原学級制度??があって、普通学級の児童たちと一日の内の何時間かを過ごした。介助の先生が付いていることにはなっていた。でも、担任の先生だけのときもあったようだ。その先生から伺ったことである。

 

娘は言葉で意志を伝えることができない。いわゆる自閉傾向である。自閉傾向といってもいろいろあるので、みんな違ってみんなたいへん、である。娘は、暗いタイプではない。楽しければニコニコするし、腹が立てば、かなり大声で怒る。

 

緑かぐわしき?ある日のことであった。

娘、普通教室でおとなしく座っていたのだけれど、先生があれ??と思った瞬間、ううううう・・・びちょっ・・・!!というわけで、失禁してしまった。  ぎょー--!!と、もちろん、まわりはパニックである。先生も一瞬、フリーズされたらしい。そのときだった。一人の女の子が、すっと立ち上がって、雑巾を取りいき、娘のところまで来て、その周りを拭き始めたという。吹き終わったあと、何も言わずに雑巾を洗いに行ったという。その一連の流れがとても静かだったので、まわりの児童も静かになったらしい。特別のことをしたという気負いはどこにもなくて、自然な動きだったことで、先生は胸が熱くなったと仰った。もちろん、その話をきくなり、母である私、号泣はしないけれど、心の中は号泣だった。

 

(子のおもらし静かに洗いくれし八歳のM子ちゃんありがとう)

 

そういうことがごく自然にできるクラスメートと過ごすことができて、娘は本当に幸せでした。。。

 

という話をしたのだけど、4年生たちには伝わったのかどうか・・・

 

他にも語り手数名がいて、車椅子に乗った方が二名語ったのが印象的だったのか、最後の質問タイムは車椅子のことばかりだった。

 

車椅子の種類は? 値段は? 電動車椅子の速さは? などなど。

おいおい・・・

ちょっと、いや、かなり、残念だった。

興味をもたないよりは何かしらの興味を持つ方がよい、とはいうものの。

 

 

道具、よりも、人間、、人間がどうなのか、って、そこなんだけど、

 

歌集を上梓しました。

先月、第二歌集を上梓しました。

 

第一歌集は、支援学校の先生や保護者の方たちに読んでいただけたらと思い、娘の歌を中心に纏めたものです。後半に自分の職業詠が入ったのは、前半部分だけでは歌が少なく歌集の体をなさない・・・と思ったからで、あくまでも娘の歌が中心でした。

 

今回は、歌会に初めて参加してから詠んだ歌のほとんどを見直し、これは残しておきたいと思ったもの、と、りとむ短歌会 に入会してからの歌を推敲して編集、そして、近隣で支援員として働くようになってからの職業詠、学生時代をともに過ごした友人と先生へ送る歌などの新作三編を載せました。

 

内容はともかく!

今野寿美先生が書いてくださった跋文が素晴らしい!とのお便りや、装填が素敵すぎる、装填に惹かれて買いたくなった、という感想を頂いております。

内容については、

どのような感想でも嬉しいですしありがたいです。この歌わからない、ちょっと変じゃないの?というご意見も、ぜひよろしくお願いいたします。

 

歌集に住所を記していないので、このブログにでもご意見をいただければと存じます。

 

前集では、上梓後、歌集の内容にかかわりのないところで思いもよらないことがあって、歌集出版へのトラウマになりました。今回はそのようなことがないように、かたがたに失礼がないように充分注意したつもりです。

けれども、前回同様、内容以外のところで、水を差されることはある、、、かも。

それが世の常なのかもしれません。

 

けれども、もう、気持ちは、次の集へと動いています。生きている限り、歌歴は更新したいので、今回、何か不測の事態、不都合な出来事??があっても、しっかりと前を向きたいと思います。もうトラウマになんていたしません。

 

楽しい時も哀しい時も、言葉が生まれます。歌にしてね、というように。

「この喜びを歌の中に閉じ込めたい」という台詞を耳にしましたが、そうは思いません。喜びも哀しみも歌にすると、読んでくださったかたの心になかで醸成され、ほどよく広がったり昇華したり、それぞれの想像力によって深化するものだと思います。

 

こっそり詠んで引き出しの奥にでも隠しておかない限り、閉じ込めることなんてできない。隠したつもりでも、誰かが見つけたとたん、歌は羽ばたいてゆく。それが歌の魅力ではないでしょうか。

 

というわけで、ご一読いただければ幸いです。

 

www.kadokawa-zaidan.or.jp

 

 

 

 

 

 

謹賀新年

また、更新できない日々が続いて、はたと気が付けば6か月ぶり。

歳を重ねるにしたがって、「光陰矢の如し」が加速します。科学的には、歳をとると細胞の交代が遅くなるから?? (成長期で)細胞の交代が早い子供の頃の身体が覚えていた時間の感覚に反比例して、歳をとればとるほど、時が早く過ぎてゆくように感じるのだとか・・・うろ覚えです。(大阪ふうにいうと、、、知らんけどな、ってこと(;^_^A)

 

言い訳はともかく、やっと、始動したことがあります。

思わぬブレーキばかりがかかって、なかなか進まなかったのですが、ようやくです。

自分の願いを叶えることが贅沢と思えるような世の中なのですが、今生は一度きり、自己満足かもしれないけれど、贅沢します。

このまま、順調にことが運びますように。

そして、3月には上京を企てています!

2008年以来、まるで名古屋あたりに結界があるように(悪霊か私は・・・)、東へはいけなかったのですが、結界!破らせてください!

これも叶いますように(*´▽`*)

安牌

また、3か月も放置してしまいました。

いいわけになりますが、ぼちぼち、いろいろ纏めています。

そして、纏める時間を取ることが難儀なほど、娘に難儀していました。

問題行動です。

作業所を首になるかもしれない(たぶん私の被害妄想ですが)と、自分自身の感情をコントロールすることにも苦労する毎日でした。

ようやく、少し落ち着きました。訪問医師との連携で処方を変えたことが大きいのですが、素直に喜べない自分もいます。薬で娘をコントロールしているような、何か、罪の意識、のようなものがあります。

 

ところで、最近、歌壇をにぎわしている言葉、「安牌短歌」が胸に刺さりました。実際この言葉が出てきた文章を読んでないので、それに対する反論などではありません。

安牌短歌とは、フェミニズムジェンダーにのっかった短歌らしいのですが・・・、ちょっと、自分の「安牌短歌」にあたるものを探してみたくなりました。

 

便利な女と呼ばれることの続きてある日古き小皿を叩き割りたり

嵌め殺し窓より淡き光さすキッチンでひとりアイスクリン舐める

アイシテルなどとは言はずもくもくと給餌してゐる雄のあほうどり

戻り来れば主婦なる我を呼ぶ夫「アイスピックで氷割れ、おい!」

そこに居るあなたのことが真っ黒な電信柱に見えてゐた 今

押入れの隅に十年置かれてる黒いかばんに去り状が在る

ネコの爪一枚むねに忍ばせてキッチンに立つ。 独裁者よ!

(拙集「豊かに生きよ」より)

 

こんなところでしょうか。

ん?なにか違うでしょうか。

安牌ではない? 

はい、自分では、ぎりぎりのところで、詠っているつもりです。

詠み手にとっては、安牌などはありません。