『青昏抄』(楠誓英)より
「ぼく」といふ一人称をつかふ少女(こ)が道にちぎりて捨てるヒメジョオン
「コロもいつか死ぬんでせう」と吾が犬の頭撫でつつ言ひたる少女
授業中トイレにこもつた少女ゐて「泣いた分だけ軽なつた」といふ
蝶みれば蛾とよび憎む少女ゐて父より受けし虐待を言ふ
少女が登場する歌を4首ひいた。
後半は教鞭をとる作者が出会った生徒だと思うが、前半は近隣の女の子のような気がする。それぞれ、多感な少女の姿が立ちあがってくる歌だと思う。そして幸せからは遠いところにいる。
私の幼馴染に「ぼく」という一人称をつかう女の子がいた。
彼女がなぜ「ぼく」というようになったのかはわからない。
酒屋の娘さんで、商売は順調だった。
ご両親は商売で忙しそうだった。だが、彼女の望むことはなんでも叶えてあげていたように思う。
一緒にピアノを習い始めた。私はしばらくオルガンで練習していたが、彼女はすぐにピアノを買ってもらった。当時流行ったタミーちゃんという着せ替え人形でよく遊んだが、人形の洋服の数も豪華さもかなわなかった。特段、妬んだりはしなかったけれど、「いいなあ・・・」と思うことはよくあった。
書道も、そろばんも、英会話もいっしょに習ったが、やがて疎遠になった。彼女とおなじように「ぼく」という一人称を使う女の子が、彼女の一番の親友になったからだ。もうひとりの「ぼく」のお父さんは船乗りで、たまにしか帰ってこないと言っていた。
仲良しでいたかったけれど、わたしには「ぼく」が言えなかった。
「わたし」は「わたし」で、「ぼく」ではないわ。
漠然とそんなふうに思いながら、「ぼくら!」と笑って肩を組む後ろ姿を見送った。
悲しくはなかったが、なぜ「ぼく」で「ぼくら」なんだろう・・・と思いながら。