TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

引っ越し(4)(以前のブログから移動)

「わたしはいつ死ぬのかしら」ときく母に「あしたよ」といふ あしたは光

                      日高堯子『短歌往来』2017.2
 
 
介護短歌のコンクールなどで入賞している作品を見ると、「介護がんばってます。しんどいけれど、良いこともありました。」という感じのものが多い。それは、たぶん、同じような環境にいるひとたちを勇気づけることができるものがいい、という趣旨なのだろうけれど、なにか、カキンとひっかかる。
 
 
長年、介護をしている。高齢者ではなく娘の介護である。「しんどいけれど良いこともありました」というような歌を詠んだことも多々あるが、「しんどいことはしんどい」という事態のほうが圧倒的に多い。「しんどいけれど良いこともありました。」という歌ばかりが入選していると、いやそうじゃないでしょ・・・と思う。
 
 
日高さんの歌は、そういうものを超えたところにある。生と死の狭間が光によって繋がり、その連続性はメビウスの輪のようだ。尋ねたことを忘れてしまうお母様に対しての、そうやって尋ねてくれる「今日」があるかぎり、あなたは大丈夫ですよ、という優しさとユーモアが感じられる。
 
 
毎日が「今日」で、あしたは「今日」になり続ける。
いつの日か、その「あした」はやってくるのかもしれないが、それは闇ではなく光である。
 
「他界は『光』と思いたい」(日高堯子『歌壇』2017.7)