小潟水脈歌集『時事淡譚』より
明日(あした)から母はメラミン食器だと社員食堂立つ時思ふ
介護事務所とデイ施設から返されて玄関のキー三個となりぬ
父の妻、母の夫も看しといふ人より箱詰めりんごが届く
小潟水脈
作者はおそらく長い間お母様の介護をされていたのだろう。
私自身は、父親が60代で逝き、その後母は比較的健康に過ごしていたので、介護のことは考えたこともなかった。しかし、先日、母は、急に歩けなくなった。数日後に吐血して救急で隣の区の病院に運ばれた。元気だったから、介護認定も未だで、同居していた弟が急いで手続きをした。区役所の係の人に、母の様子を病院まで見に来てほしいと頼んだが、「隣の区なので行けません」という返事。自宅に戻って数日経ないと認定してもらう資格が生じないらしい。そういう規則なのだという。
介護認定ひとつをとってもこの調子だから、その後のことは推して知るべし。家族や本人の状況にどこまで寄り添ってくれるのだろうか、疑わしい。
母は、自分のことでまわりが働けなくなったりするのはいやだから、一刻もはやく施設を探してほしいという。身体が弱っても頭がしっかりしているから、必要以上にまわりに気を遣う。これもなかなか辛いだろう。本人の希望通りの施設にはいれたとしても、メラミン食器で食べる時は、哀しくなるかもしれない。
どうしてあげるのがいいのだろう。
私には何ができるのだろうと、日々考えている。