『遺伝子の舟』(森垣岳)より
父親の気持ちがポストに届けられ春の冷たい雨に濡れおり
三人の妻を娶りし父親を鋏でちょきちょき切り取ってゆく
遺伝子の舟と呼ばれし肉体を今日も日暮れて湯船に浸す
父親は真冬の寒さ いつの日か乾いて海の向こうへ消える
作者の森垣氏と経緯は違うが、私も父を遠ざけて生きてきた。
母とは通じ合うものがあったが、父は異質な存在だった。なぜ、父のような人がいて、私の父なのか、納得できなかった。
虐待をされたわけではない。家族を捨てたわけでもない。お酒は好きだったが、酒乱ではなく、社会人としてそれなりに仕事もしていた。
ただ、思考回路というのか、経路というのか、物事の感じ方というのか、そういうものがまったく違っていた。
私の感覚や感情が、父には理解できないのと同様に、わたしにとっても父は理解不能だった。だから、父親に甘えるということも、心から大切に思うということもできなかった。きちんと育ててもらったのに、父亡き今、それは大変申し訳なく思っている。
父には父がいなかった。もちろん生物学的にはいるのだけれど、父が生まれてまもなく出奔してしまったという。産みの母も10歳ころになくし、それからは、祖母の再婚先や親戚の家をたらいまわしにされ、ようやくある裕福な家の養子になった。ところが、その家も事業に失敗し、父は結局、祖母の家に戻るしかなかった。
様々な辛酸をなめたことだろう。それが人格形成に影響したのかもしれない。
私はいまだに父を理解できない。けれども、齢を重ねたこのごろ、自分のこの偏屈なところは父譲りなのだろうと思うようになった。自分勝手なところも。
理解はできないけれど、引き継いでいるらしい。
まぎれもなく私は父の娘で、父の遺伝子を有している。