TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

近藤かすみ歌集『花折断層』より

たくさんよい歌があれるけど、良し悪しではなく、この場所はかつて私のテリトリーだった!ということで、《百万遍》と題された一連から。

 

バスに乗り百万遍に来てみればあはれパチンコ〈モナコ〉はあらず

角店のレブン書房に購ひし『マノン・レスコー岩波文庫

むかしむかし絵本に読みしやまぐにの龍の子太郎も還暦ならぬ

                         近藤かすみ

 

近藤さんは生粋の京都人だが、私はいわば異邦人。

大学の一回生の12月ごろに実家を出て京都に下宿した。初めての一人暮らしで、ようやく父の支配から逃れたのだと思った。二度と実家に帰るつもりはない!などと豪語していたが、卒業して1年ねばっただけで、結局実家に戻ることになった。ほんとに根性なしである。

 

二回生のころから、バイト先はずっと百万遍界隈だった。最後の1年間は梅津車庫あたりの小さな出版社に勤めながら、歌にある〈モナコ〉の並びにあった喫茶店で働いた。

 

店は、京都大学関係の学生さんや先生で賑わっていた。ちょっとしたしゃれっけで、仕事をするときは、立花香澄と名乗っていたので、「かすみちゃん」と呼ばれていた。だから、10年ほど前に近藤さんと知り合ったときは、ふと笑みがこぼれた。京都からやってきた「近藤かすみさん」に、「かすみちゃん」だったころの自分を思い出して。

 

「かすみちゃん」だったころ、なんの後ろ盾もないし、大した努力もしなかったが、未来は開かれているような気がしていた。詩を書いていた。たまに投稿していたが、入選することはなかった。それでもそのうち詩人になるかも、なんて思っていた。名もなき異邦人から京都の詩人になるつもりだったが、清算したいことができて実家に戻ることにした。

 

 

何も怖いものがなかった、いや、怖いと感じなかった。浅はかでかなり愚かな、夢のような日々だった。 そうか、あの百万遍の角で、京大の学生や先生がたも一度は覗いたという、あの〈モナコ〉、パチンコ〈モナコ〉はもうないのか。

 

モーナイノカ、なんていってる、私もいまやアラカンである。( ;∀;)