旅人(前田康子歌集:現代短歌文庫より)
春の雨踏みつつ帰る足音は迷えるように我が家で止まる
七草のみつからぬ土手旅人になりたいと言う夫は何度も
前田康子
そういえば、私の夫も「旅人になりたい」と言っていた。
結婚してまもなく、たくさんの友人が遊びにきていたときに、
「50歳になったら、ランボオのように放浪の旅にでる」と宣言した。
なにか腹立たしくて、思わず、
「私はそのとき40歳ですが、それからの人生を(私と)共に歩んでみようと言う方はおられますか?」
と夫の友人たちに聞いてしまった。
今から思えば、恥ずかしい話だし、情けない話だ。
だれかと共に歩もうなんて、結局、だれかに頼ろうとしていることだ。
なんて甘い、なんて愚かな、と思う。
もう40歳をはるかに超えてしまった今となっては、
たとえ、夫がランボオになって去ったとしても、残された人生はだれにも頼りたくない。できるところまで、ひとりで生きていく。二度と結婚などしたくはない。
なのに!
ほんとに、もう、どうしてランボオにならなかったのですか!
と声を大にしていいたいくらい、リタイアした夫は家から離れない。
旅人どころか、出かけようとすると、ついてこようとする「わしも族」である。