TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

ひもじい時代

食べられる葉とそうでない葉を知っている母にはひもじい時代があった(拙歌)

 

私の母は今年90歳。

疎開経験があります。学童疎開ではなくて、親戚の家でお世話になったそうです。

学童疎開でとんでもなく酷い目にあったという話は耳にしましたが、大阪の両親と離れて、福井の親戚の家へ疎開というもそれなりに辛かったようです。

まず、学校では、都会の子ということで、好奇の目にさらされたとのこと。暴力をうけたことはなかったようですが、靴を隠されたり、無視されたり、といういじめは日常的。ひとりだけさりげなくかばってくれる男子と、何かと気にかけてくれる担任の先生がいらしたので助かったと言っておりました。

家に帰れば、ひとりの労働力として頼りにされていたもよう。家の手伝いはもちろんのこと、田畑で働くことも当然だったといいます。休日などはなかったと。だからなのか、母は土いじりが嫌いです。

三度の食事はいただけたようで、それだけでありがたいと思うべきだったけれど、育ち盛りのこと。与えらえるものだけでは足りずに、台所の砂糖ツボが気になった仕方なかったといいます。戸の隙間から、おばさんたちが砂糖を舐めているのが見えた時は、本当に羨ましかったという話を何度も聞かされました。

 

上記の歌は10年以上前に詠んだものですが、母の疎開体験に基づいています。「食べられる葉」は、ヨモギカラスノエンドウのようなものをイメージしていましたので、本来は「草」とするべきところでした。が、「葉」にしたのは、その年の歌会始のお題が「葉」だったから。(;'∀')

 

宮内庁から最終選考に残っていますというお電話を頂いたときは嬉しかったのですが、お正月のお祝いの歌にはそぐわないだろうと、入選は諦めていました。やはり、、、というわけで佳作。やはり、、、ですが、正直、ちょっと悔しかったかな。

 

それはともかく、

「ひもじい時代」は、母の学童期のことでしたが、人間は、歴史に学ばず、何度でも同じ失敗をくりかえすものなのでしようか。

「ひもじい時代」は過去の話ではなくなるかもしれません。

もちろん、世界を見渡せば、あちらこちらで、今も「ひもじい時代」は続いています。また、たとえ衣食住足りているところでも、心は「ひもじい時代」を彷徨っているのかもしれません。

 

だから、もっと、もっと領土がほしい???のですか?

多くの人を追いやって、犠牲にして、まだ足りない、まだ「ひもじい」のでしょうか。

 

 

長らくのご無沙汰。。。

放置するつもりはないのですが、ふと、気が付くと何か月も書いていない、という始末。自分はいったい何をしているのだろう・・・

時間がない・・・なんていうと、ほんとに時間がない、寝る時間もないかたたちに申し訳ない。時間があるのに、上手く使えていない、さぼっているような気がします。もう一歩、いや、二歩三歩??というところ、届かないものがあるのもそのせいかと思う今日この頃。

 

投稿したニ十首が結社の賞の候補作となりました。昨年も候補作でしたが、昨年より一歩前に進んだようです。選者の方々から温かい評もいただき、とても有難いことでした。

 

が、夫に報告すると、、、

「おまえ、そういう感じね。候補、とか、佳作とか、ふっふっ」と。

なんだか、憎たらしいですね。思わず顔が歪みました。

 

実は彼、数年前に、自費出版大賞の部門賞をいただきました。その授賞式会場がなんと、歌壇賞と同じ、なのです。歌壇賞・・・これも、まぐれで一度だけ候補になったので、あの会場か・・・と行ったこともない広間を想像しつつ、夫を送り出しました。

 

羨ましいやら悔しいやら、でしたが、夫の著作は、約半世紀、フィールドワークやデスクワークに明け暮れた研究の成果を纏めたものでしたから、15年ほど、ふうっと来てくれた歌を詠んでいる私とは比較できない、と自分を納得させて、しかたない、あと40年がんばろー。

でも、100歳、越えてしまいます(;'∀')

ブロンズコレクターに終わるかもです。

なので、

ここをふと覗いてくださったかた、よかったら、お目通しください。

ニ十首詠「げんきかな」です。

なんとなく・・・よかった!と思うかたがいてくだされば、嬉しいです。

 

「げんきかな」ただそれだけのひらがなを打ってる指はしわしわだろう

一㎞四方に濃厚接触二例あり 生駒の山並みまたも杳杳

件名欄にひとことあって本文無し 母のメイルが二度三度来る

さびしいとは打たないあなた メイルには「いまおだかずまさをきいてます」

穏やかなご一家ですねと言う他人の知らぬ波乱は歳月に凪ぐ

人間が壊れるまえに壊すごと古い茶碗を割っていた母

「国道の真ん中をゆく自転車を見たよあんたのかあさんだった」

読み聞かせの終わりに云われぬ「サンドリヨン、靴は自分で履くもんですよ」

雷鳴に煽られながら南へと近畿高速 五百日ぶり

ゆっくりと手を振るあなたと病院の長き廊下の手すりで繋がる

長生きのお守りだよと譲られし指輪は涙のかたちをしている

越前の空を見たいというときの母は智恵子の真似をしていた

わたくしと母の命を遡りゆけばしずもる夜叉が池の郷

角砂糖をもらえなかったと山奥の疎開話をくりかえす母

「優しい父」を詠めばくちびる噛みしめて 母「脚色はようないわねえ」

ありきたりだけれど泣いてくれるからなんどでも言う「うまれてよかった」

「聴こえない呆けたふうをしていると本音が聞こえて楽しいよ、ふふ」

ハグすれば昨夜の夢の中よりも母さんかなり小さくなった

「もうええよここでええよ」を聞き入れず吾れのあと追う幼となりぬ

片時も離れなかったチロだけが見ていたあなたの幸せがある

 

田村 元歌集『昼の月』より

角瓶をボトルキープの眠りから起こす 氷がぴきぴきと言ふ

 

はぐれ刑事の藤田まことがスナックに寄るころ祖父も飲み始めたり

 

週五日はたらき四日酒を飲み炭酸泉にしづむ週末

 

居酒屋に行けない日々はのつぺらぼう仕事に区切りがなかなか付かず

 

いつものように自分語りで申し訳ないが、私はほとんどお酒を飲まない。26歳で結婚してから飲まなくなった。理由は簡単。夫が、アセトアルデヒド還元不能、すなわち飲めないからである。独酌するほど酒好きではなかったので、いつのまにか飲まなくなった。

でも、飲みたくなった。「昼の月」を読んでいて、たまらなく懐かしくなった。よく飲んでいた日々、二十歳すぎの世間知らずであるがゆえに、怖いもの知らずで、学生仲間でわいわいいいながら、酔っぱらっていた日々が無性に懐かしくなったのである。

 

そうそう、氷にお酒をいれたらぴきぴき言うよねえ、話しかけてくるみたいだよねえ、藤田まことみたいなおじさんも、カウンターに座っていたよ。試験が終わったり、学生大会が退けたりすると、「よし、飲みに行こうぜ」を合言葉に4-5人集まって、安いお酒を飲みに行った。角瓶なんて贅沢で高値の花だったなあ。。。

 

職場に復帰して、歓送迎会や慰労会などに誘われて、たまには参加したけれど、もう、学生時代のようには飲めなくなっていた。厚かましくて迷惑な女子学生のときには戻れなかった。

 

田村さん、家庭生活の変化も詠まれていて、決して楽しいことばかりではないとわかるけれど、それでも、田村さんのような飲み方が、少し羨ましい。

 

コロナ禍が過ぎ去りしのちは、ほんのちょっと真似してみようか。

哀しみとユーモアが混ざり合って、ほどよく酔える歌集です。

グリグリの思い出

クリとグリ、ではなく、グリグリです。

ワクチン接種二回目、を甘く見ていました。一度目が大したことなかったので、二度目も微熱くらいでは、という根拠のない自信を持っていたのです。

でも、とんでもなかった!

最高38.8度。翌日と翌々日。次の朝はスッキリ下がったと思って仕事にいけば、夕方かからまた上昇。そして、、、ん、なんだか口内の右側に違和感。 と思っているうちにリンパ腺が腫れて、唾をのむことも苦しくなってしまったのです。慌ててかかりつけ医のところに行って処方箋を出してもらったけど、あまり改善せず。四日分の薬がなくなる寸前に、もう一度クリニックへ。ちょっと強めのお薬に変わってようやく改善。

都合10日、苦しみました。グリグリに。。。

 

で思い出した。

確か前にもこんなことが。

あれは、小学校3年生だった。

インフルエンザに罹患して、学校を休んだ。

首のグリグリがある間は他の人にうつすから学校にはいけない、と母が言った。

グリグリはなかなか消えなかった、というより、小さくはなっていたと思うのだけど、「まだあるよー」と言いながら、二週間たった。

小さな小さなグリグリはあるけれど、身体はぴんぴんしていたので、5歳したの弟と、キャーキャー言って遊んでいた。あれは、、、チャンバラをしていたのだったかな。

きゃあああ!と弟に切られて振りかえったときだった。

ガラガラと玄関が開いた。いや、玄関が開いてから「きゃあああ!」だったのかもしれない。

玄関に人影があった。

「あらっ・・・」と言ったその人影は、先生だった。担任の鈴子先生だった。

「元気なのねえ、よかったわ」と仰って、母と話し始めた。母は「グリグリがとれないっていうもんですから」と、のんきに答えていた。

 

先生は、うふっと笑って「明日ね」と仰った。

「はい」と答えて、次の日から通学した。

 

思い返せば、学校が好きだったことはない。

しかし、鈴子先生は好きだった。

 

にしても、夢のような二週間は終わったのであった。

 

コロナは、たぶん、インフルよりキツイであろう。

ワクチンでさえも、きゃあああ、なんていう元気はなかったから。

 

 

歌は、読んだひとのもの?とはいうものの。

歌は、詠み手のものではなく、読んだひとのものになるという。拙歌集については、「読んでいると辛くなった」とか、「胸が苦しくて読んでいられない」という感想が多い。どのような感想をいただいても、なるほど、そういう受け取り方もあるのかと思うべきなのだろうけれど、今日は、ちょっと納得いかなくて呻いた。

 

拙歌集「豊かに生きよ」は、「ちょっと被害妄想」なのだという。

さすがに、直接言われたわけではなく、OさんからNさんへのスマホメールを、Nさんが私に見せた、のである。(内容を思えば、その行為についても疑問ではあるけれど。)

 

「ちょっと」という修飾がついているとはいえ、「被害妄想」にはいたく傷ついた。大げさだと思われたのだろうか。

まったく知らない人ならいざ知らず、Oさんは娘が幼いときにお世話になった保育士さん。いつも母子に寄り添う姿勢で、かなり頼りにしていた。まわりまわって、今頃、彼女の目に触れることになった拙歌集だが、まさか、「ちょっと被害妄想」という感想を頂くとは思わなかった。

 

今から思えば、Oさんと関わった一年間は、発達が遅れていると思われる娘が、これからさきどうなるのかよくわからない不安な時期ではあった。自宅以外ではトイレにもいかない、表情も硬かった。でも体も小さいので、体力的に大変なことはなかった。叫び声もあげなかった。ただ静かな娘だった。爪も立てなかった。怒って親に向かってきて怪我をさせるということもなかった。

 

娘は今、31歳だ。あの一年間は大切な時間だったけれど、あの一年間だけを知っていて、その後を見ていないかたに「被害妄想」とされたのは、残念である。

 

障害のある子どもと親との生活は、幼い時だけでは終わらない。延々と続く。子どもが大きくなるにしたがって、様々な問題が、手を変え品を変え、家族を襲う。私と娘とのかかわりは、私がこの世から姿を消すまで続くのだ。

 

その一年間を過ごした園に、障害のあるお子さんを持たれている先輩ママさんというかたが講演に来られて、「今は大変心配だろうけれども、大きくなるとそれなりに楽になります、気の持ち方ひとつです」というようなことを仰ったが、それはない。大きくなって楽になることは一切ない。

 

楽ではないけれど、楽ではないことに慣れるのだ。慣れて、そういう生活のなかにも楽しみを見出すことができれば、なんとか生きていける。私の場合はそれが歌だった。 

 

歌は、詠み手のものではなく、発表すれば、それを読んでくださったかたのもので、どのように読まれてもしかたがないとはいえ、わたしの歌は、、、

 

「妄想」ではなく「現実」である、ということだけは言っておきたい。

そして、「妄想」からは逃げられるけれど、「現実」からは逃げられない。

逃げるつもりもない。

 

 

 

 

 

 

wordcrossroad.sakura.ne.jp

↑うるうるしながら微笑んでしまうような詩、です。

 


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先日ある利用者さんが微笑んでくださった。
ほかの職員に笑顔を見せることはあったけれど、私に対しては初めてだった。いつもは無関心かそれともちょっと怒っているのか、という雰囲気で、信頼してもらうにはまだまだ時間がかかりそうだと思っていた。
この詩の言葉を借りると、やっと彼女の水脈に近づいた、ということかもしれない。
こちらが幸せになるような、心が満たされるような微笑だった。わざとではない、
笑って―!チーズ!( ;∀;)、ではない、
尊い、貴い、微笑みだった。

さて、、、「短歌の時間」が始まります。

ついに、職場の所属班の予定表に「短歌」の二文字が。。。。

今月なかばから、

利用者のみなさんと、歌を詠もう!という取り組みが始まります。

一回の取り組み時間は30-40分なので、てきぱきと進めなくてはなりません。言葉の理解度も様々、言葉を理解していても発声が得意でなく、自身で字を書くことができない利用者さんもおられるので、どういう形で進めてゆくのがよいのだろうかと思案。パワーポイントを使って、基本のき、から始め、文字盤なども使うことになると思います。

 

初回の目標は、七夕の短冊に、詠んだ歌を書くこと。

古の星合の祭りで、梶の葉に願い事を書いていたことに倣います。

どうか、みなさんが楽しんでくださいますように。

 

あまのがは とわたるふねの かぢのはに おもふことをも かきつくるかな
                  上総乳母(かずさのうば)

 

秋の初風吹きぬれば、星合の空をながめつつ、天のとわたる梶の葉に、思ふ事書く比なれや
                  『平家物語』巻第一「祇王