歌は、詠み手のものではなく、読んだひとのものになるという。拙歌集については、「読んでいると辛くなった」とか、「胸が苦しくて読んでいられない」という感想が多い。どのような感想をいただいても、なるほど、そういう受け取り方もあるのかと思うべきなのだろうけれど、今日は、ちょっと納得いかなくて呻いた。
拙歌集「豊かに生きよ」は、「ちょっと被害妄想」なのだという。
さすがに、直接言われたわけではなく、OさんからNさんへのスマホメールを、Nさんが私に見せた、のである。(内容を思えば、その行為についても疑問ではあるけれど。)
「ちょっと」という修飾がついているとはいえ、「被害妄想」にはいたく傷ついた。大げさだと思われたのだろうか。
まったく知らない人ならいざ知らず、Oさんは娘が幼いときにお世話になった保育士さん。いつも母子に寄り添う姿勢で、かなり頼りにしていた。まわりまわって、今頃、彼女の目に触れることになった拙歌集だが、まさか、「ちょっと被害妄想」という感想を頂くとは思わなかった。
今から思えば、Oさんと関わった一年間は、発達が遅れていると思われる娘が、これからさきどうなるのかよくわからない不安な時期ではあった。自宅以外ではトイレにもいかない、表情も硬かった。でも体も小さいので、体力的に大変なことはなかった。叫び声もあげなかった。ただ静かな娘だった。爪も立てなかった。怒って親に向かってきて怪我をさせるということもなかった。
娘は今、31歳だ。あの一年間は大切な時間だったけれど、あの一年間だけを知っていて、その後を見ていないかたに「被害妄想」とされたのは、残念である。
障害のある子どもと親との生活は、幼い時だけでは終わらない。延々と続く。子どもが大きくなるにしたがって、様々な問題が、手を変え品を変え、家族を襲う。私と娘とのかかわりは、私がこの世から姿を消すまで続くのだ。
その一年間を過ごした園に、障害のあるお子さんを持たれている先輩ママさんというかたが講演に来られて、「今は大変心配だろうけれども、大きくなるとそれなりに楽になります、気の持ち方ひとつです」というようなことを仰ったが、それはない。大きくなって楽になることは一切ない。
楽ではないけれど、楽ではないことに慣れるのだ。慣れて、そういう生活のなかにも楽しみを見出すことができれば、なんとか生きていける。私の場合はそれが歌だった。
歌は、詠み手のものではなく、発表すれば、それを読んでくださったかたのもので、どのように読まれてもしかたがないとはいえ、わたしの歌は、、、
「妄想」ではなく「現実」である、ということだけは言っておきたい。
そして、「妄想」からは逃げられるけれど、「現実」からは逃げられない。
逃げるつもりもない。