TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

長らくのご無沙汰。。。

放置するつもりはないのですが、ふと、気が付くと何か月も書いていない、という始末。自分はいったい何をしているのだろう・・・

時間がない・・・なんていうと、ほんとに時間がない、寝る時間もないかたたちに申し訳ない。時間があるのに、上手く使えていない、さぼっているような気がします。もう一歩、いや、二歩三歩??というところ、届かないものがあるのもそのせいかと思う今日この頃。

 

投稿したニ十首が結社の賞の候補作となりました。昨年も候補作でしたが、昨年より一歩前に進んだようです。選者の方々から温かい評もいただき、とても有難いことでした。

 

が、夫に報告すると、、、

「おまえ、そういう感じね。候補、とか、佳作とか、ふっふっ」と。

なんだか、憎たらしいですね。思わず顔が歪みました。

 

実は彼、数年前に、自費出版大賞の部門賞をいただきました。その授賞式会場がなんと、歌壇賞と同じ、なのです。歌壇賞・・・これも、まぐれで一度だけ候補になったので、あの会場か・・・と行ったこともない広間を想像しつつ、夫を送り出しました。

 

羨ましいやら悔しいやら、でしたが、夫の著作は、約半世紀、フィールドワークやデスクワークに明け暮れた研究の成果を纏めたものでしたから、15年ほど、ふうっと来てくれた歌を詠んでいる私とは比較できない、と自分を納得させて、しかたない、あと40年がんばろー。

でも、100歳、越えてしまいます(;'∀')

ブロンズコレクターに終わるかもです。

なので、

ここをふと覗いてくださったかた、よかったら、お目通しください。

ニ十首詠「げんきかな」です。

なんとなく・・・よかった!と思うかたがいてくだされば、嬉しいです。

 

「げんきかな」ただそれだけのひらがなを打ってる指はしわしわだろう

一㎞四方に濃厚接触二例あり 生駒の山並みまたも杳杳

件名欄にひとことあって本文無し 母のメイルが二度三度来る

さびしいとは打たないあなた メイルには「いまおだかずまさをきいてます」

穏やかなご一家ですねと言う他人の知らぬ波乱は歳月に凪ぐ

人間が壊れるまえに壊すごと古い茶碗を割っていた母

「国道の真ん中をゆく自転車を見たよあんたのかあさんだった」

読み聞かせの終わりに云われぬ「サンドリヨン、靴は自分で履くもんですよ」

雷鳴に煽られながら南へと近畿高速 五百日ぶり

ゆっくりと手を振るあなたと病院の長き廊下の手すりで繋がる

長生きのお守りだよと譲られし指輪は涙のかたちをしている

越前の空を見たいというときの母は智恵子の真似をしていた

わたくしと母の命を遡りゆけばしずもる夜叉が池の郷

角砂糖をもらえなかったと山奥の疎開話をくりかえす母

「優しい父」を詠めばくちびる噛みしめて 母「脚色はようないわねえ」

ありきたりだけれど泣いてくれるからなんどでも言う「うまれてよかった」

「聴こえない呆けたふうをしていると本音が聞こえて楽しいよ、ふふ」

ハグすれば昨夜の夢の中よりも母さんかなり小さくなった

「もうええよここでええよ」を聞き入れず吾れのあと追う幼となりぬ

片時も離れなかったチロだけが見ていたあなたの幸せがある