TokoTokoChihoChiho’s diary

短歌と短文、たまに長文、書いてます。

引っ越し(5)(以前のブログから移動)

種子深く時間は眠る人間の時計は進み続けて止まる

                 松村由利子『耳ふたひら』より
 
 
今日は母の誕生日だった。87歳である。「おめでとう」とメールを送ったら、「のこりのじんせいをたいせつにいきていきたいとおもいます。・・・」という平仮名ばかりの返信があった。母からのメールはいつも平仮名ばかりだ。そして、平仮名は「本文」のところではなく「用件」の欄に並んでいる。本当はもっと言いたいことがあるのかもしれない。いや、言葉をつくしてもいえないから、用件欄だけで充分なのだろうか。
 
それはともかく、今年は、妙に、その一文字一文字が重く感じられた。時計の音のように思えた。いつまでも動いていてほしいけれど・・・。
 
母の種子は芽吹いてわたしという命に繋がったが、眠ったままの種子、時間が止まったままの種子もあるだろう。種子の時間は動かなくても、それを抱えた人間の時計はいつかは止まる。どのような人生を歩もうと、人間の時計は進み続けて止まる。戻ることはない。
 
心臓は命の時計だと思う。この頃、私の時計はいつまで動くのだろうと強く意識するようになった。明日もどうか動いていますように。まだ、生に未練がある。
 
おりしも、母の「用件」の最後には「あなたもけんこうにきをつけてください」とあった。 繋いでくれた命の時計が止まるまで、生きなくてはいけない。
 
ところで、人間の時計が止まってしまえば、種子も発芽せぬまま終わってしまうのだろうか。なぜかそんなふうには思えない。人間が抱えている種子は、その人生が一生懸命であればあるほど、増殖して、あちらこちらへ飛んでいきそうな気がする。その人の「思い」を運ぶために。
 
そして、いくつかは発芽し、種子の時間は進み始めるだろう。たぶん。